≪第7回(令和7年度)テーマ≫
恋
≪第7回(令和7年度)テーマ≫
恋
姿見は君の角度のまま冷えて
深山むらさき
映像としては現在の「姿見」の描写をしているだけでありながら、これ程に情感を込められているのは、一語一語のニュアンスを繊細に組み合わせているためです。詩歌の世界では想い人を意味する「君」の一語、特別に区別する助詞「は」の効果、「冷えて」と切れを作らない形で十七音の世界を閉じて作る余韻、秋の時候の季語としての冷えの際立たせ方。抑制した描き方の中に喪失の永遠性を封じ込めており、永遠にその喪失を愛しむのです。(家藤)
「姿見」とは文字通り全身が映るように作られた大型の鏡ですが、そのひとがいなくなった今、鏡にその像が映ることはありません。そして、その姿を映していた時の「角度のまま」「姿見」がそこにあります。「冷えて」ととらえる感覚が効果的で、不在と存在というようなことにも思いを至らせる作品です。(糸川)
「姿見」という古風な表現が美しい。最後に「君」が触れたであろう「姿見」の角度に「君」への懐かしさと追憶が感じられる。「姿見」をみるたび作者は「君」を思い出し、「冷えて」という語に時間の経過を感じる。最優秀にふさわしい作品。(田山)
姿見にうつした時の表情が今もしっかりと心に残っている。その角度のままとの表現に深い思いが伝わる。(吉岡)
髪切ったわけは言わん 数式解くより難解やし あんたきっと泣くし
阿部千鶴
とある二人の会話を切り取った作品。「言わん」「やし」「あんた」といった言葉使いの素直さが飾らない両者の関係性を物語ります。「数式解くより難解やし」が言葉に向けられた相手の性格を物語っており、一掴みのオリジナリティを添えてくれました。理系の学生か、何らかの研究者か。この後、理屈だけでは計れない心に「あんた」は涙するのかもしれません。(家藤)
髪を切るのは、決別と新しい一歩を踏み出す覚悟の行為で、心情がこもっています。「やし」という方言を生かした、呟きのような話し言葉が作者の気持ちをよく表して効果的です。(糸川)
「髪を切った」事実が重い。「数式解くより難解」という表現が読み手に想像を募らせる。「あんたきっと泣くし」。二人の心はまだ通じ合っている。この先二人の関係はどうなるのだろうか。(田山)
女性は心境の変化を「髪を切る」ことでおさめる。言わなくてもわかるでしょう。(吉岡)
翡翠の着水君が好きでした
北野きのこ
九音+八音で構成される変則的な型の一句。二つの天秤を備えた秤をイメージしてください。片方には、「翡翠の着水」、もう片方には「君が好きでした」が乗っている。二つのフレーズの質量が釣り合った時、そこに詩の世界が生まれます。鮮やかな瑠璃色の羽も美しい「翡翠」が水飛沫を上げる一瞬。その様を克明にとらえるのと同じ衝撃と鮮やかさをもって、自らの恋心を自覚する作者。色彩の鮮やかさが心理的の鮮やかさへと転化されていて見事。(家藤)
鮮やかな青とオレンジ色が翻る「翡翠の着水」を目の当たりにした時、自身のなかにあったはずの「君」への想いを確認したという、一瞬のドラマチックな心情をとらえています。場面が目に浮かぶようで印象的な作品です。(糸川)
「翡翠」漢字表記がいいです。その「翡翠の着水」という短時間で直線的で思い切った行動に「君が好きでした」という作者の「告白」が続く。迫力の一句。(田山)
翡翠色は、純粋で透明感のある色をまとう君が好きでした。深い思いが伝わる。(吉岡)
手をつなぎ せーので越える 天の川
せみさん
「天の川」はロマンチックな場面によく見かける季語。現実的な光景と捉えても、空想的な光景と捉えても良いでしょう。どんな読み方をするかによって、手をつなぎ合う人物の年齢層も変わってきます。現実の光景であれば、水に映った天の川を溌剌と飛び越える若者たちの姿かもしれません。空想的な概念に軸足を置けば、共に長い時を過ごした夫婦が自らの最晩年を意識しているとも読めるでしょう。さて作者にとっての真実はいかに。(家藤)
この句に向き合っていると、手をつなぐべき人はもうこの世にいないのかもしれないと感じられてきます。そしてそれでも、この広い空間と時間のなかでは、私たちは今も手をつなぎ合っているはずだと、そんな思いを呼び起こしてくれます。「せーの」の素朴で懐かしい掛け声がよく効いています。(糸川)
「せーの」という言葉に二人の思いがこもる。「手をつなぎ」いい表現です。「天の川」を越えた二人の愛に幸あれ。(田山)
好きな人と手をつなぎ、一緒に空を見上げる、夢を見てるような天の川をせーので越えよう!の声まで聞こえる。(吉岡)
角砂糖みたいに夜をすこしずつ溶かして眠る通話のあとで
箭田儀一
通話の余韻、その心理的な色合いや解像度を「角砂糖みたいに」という比喩が高めてくれました。甘やかに、それでいてざらざらと崩れていく角砂糖。崩れては溶けて消えて行く一粒一粒を愛しむように過ごす時間の長さが見えてきます。(家藤)
「角砂糖」は角から溶けるのでしょうね。そのひとと電話で話した後、その余韻をかみしめ、円かになってゆく自分のこころを意識しながら眠りにつく夜の時間が印象的に描かれています。四句切れがもたらす余韻も効果的です。(糸川)
長い時間話したのだろう。角砂糖がすこしずつ溶けていくような余韻を感じながら作者は眠る。作者の安堵感と幸福感が作品から感じられる。(田山)
楽しい電話の語らいを少しづつ思いだしながら、また明日への思いを夢見て眠りにつくのでしょう。(吉岡)
アポロンの恋におぼれて風信子
あい
風信子はヒアシンスの異名です。水栽培で楽しむことも多い植物ですね。ギリシャ神話に語られる男神アポロンと少年との恋に句材を見出す着眼点が珍しい。個人的には水栽培の透明な器に浮く風信子の姿を想像しました。「おぼれて」という動詞は水に射し込む太陽の光と、白く絡み合う根を映像化していると読みたいところ。(家藤)
光明の神アポロンに愛され、西風の神ゼピュロスの嫉妬をかい非業の死を遂げたスパルタの王子ヒュアキントス。その流れる血からヒアシンスの花が咲いたという、ギリシャ神話の愛を思い起こさせます。(糸川)
これは「令和相聞歌」に寄せられた新しい分野の句と認識した。ギリシア神話「アポロン」と「風信子」の恋。ヒアシンスの花の色がこの作品から彷彿とうかんでくるようだ。(田山)
アポロンはギリシャ神話の太陽神。この神が好きで、力を借りている様子が伺え夢がある。(吉岡)
ぐぐぐんと電動チャリの漕ぎ出しの浮力で君に恋をしました
蜘蛛野澄香
作品に大事なのは一掴みのリアリティとオリジナリティ。この歌においてそれらを担っているのは「電動チャリ」という車種の指定。そして「漕ぎ出し」というタイミングの指定です。実際に乗った経験のある人には電動自転車の重い車体と、重さに似合わない軽やかな(電気の助けを得た)漕ぎ出しが身に甦るでしょう。ずっと動かなかった作者の心は、思いがけない浮力を得て恋へと歩み出すのです。(家藤)
「電動チャリの漕ぎ出しの浮力」という表現が秀逸です。「電動チャリ」が現代の若者を鮮明に顕ちあがらせ、「漕ぎ出しの浮力」によって、「恋」の始まりの喜びと昂揚感を伝えてきます。そして、初句「ぐぐぐんと」のオノマトペがそれらをひとつの感覚として纏めています。(糸川)
「ぐぐぐん」がいいですね。「g」音の三連発。冒頭から「漕ぎだしの」までが「浮力」を導きだす「序詞(じょことば)」的な働きをしている。上の句の古典的技法が「君に恋をしました」という口語的な表現を輝かせている。(田山)
ググントの音が聞こえてくるようです。その漕ぎだしの勢いの力を借りたのでこの恋、うまくいくでしょう!(吉岡)
告白の五秒自転の止まる夏
東田一鮎
告白する側か、それともされる側か。心理的な衝撃がいかほどのものであるかをダイナミックな表現でぶつけました。前半の八音、後半の九音、どちらも名詞止めの形になっているのも効果的。だらだらと述べるのではなく、パシッと切れを作ってそれぞれのフレーズの印象を強めています。(家藤)
「告白」というドラマチィックで緊張感のある場面を、地球の「自転の止まる」と描いたところが、作品に広がりをもたせていて印象的です。(糸川)
地球の自転が止まってしまったような告白をしたあと(と解釈しました)の五秒間の緊張を感じさせる。「夏」の暑さ、蝉の声、太陽の輝き。それらを消し去るほどの「告白」の重さ。(田山)
夏に告白をして返事を待っている時の、5秒という時間が世界が止まっているようなあの心境が伝わってくる。(吉岡)
銀盆へ石榴をサロメには愛を
森萌有
新約聖書に描かれている女性「サロメ」からの着想。サロメの猟奇的な行動は多くの芸術作品の題材に取り上げられています。この句は誰かへの想いを乗せるタイプの句というよりは、作者自身が愛という概念を捉えようともがいているような手触りを感じます。磨き上げられた銀盆へと載せる石榴は血の粒を零すかのよう。宗教画のように完成された映像です。「〜を〜を」の対句はサロメにも相応しい愛が饗されれば…と祈る心地のようでもあり。(家藤)
〈洗礼者ヨハネの首〉〈サロメ〉等々、特に西洋画で多くの芸術作品に描かれてきた題材を扱った作品です。「銀盆」の上の「石榴」の実のイメージのなかを、作品全体が漂っていくようです。(糸川)
オスカー・ワイルドの戯曲で有名なサロメの悲劇。預言者ヨカナーンの首が「石榴」にたとえられたのがユニーク。サロメは愛を貫いたがゆえに(義理の父)ヘロデ王に殺される。死すら恐れぬサロメをたたえる。(田山)
銀盆で石榴でどこか恐ろしく、毒々しい深みがある雰囲気。あなたを独占したいほど愛しているとうまく表現できている。(吉岡)
春二人たんたんたたむダンボール
ほしのあお
「た」の音の繰り返しがリズミカルに楽しい。引越し先での新生活を迎えようとする二人の若者の姿が思い浮かびます。荷物を取り出して空になったダンボールを次々たたむ二人。その度に明るい春が近づいてくるかのようです。「たんたん」が音の響く立体的な空間を想起させると共に、その空間を満たす春の陽光をも想像させてくれました。(家藤)
新しい生活が始まる春、片付けや引っ越しに使った「ダンボール」です。「たんたん」のオノマトペや、二句以下のタ(ダ)音のリフレインが生み出す軽やかな韻律が、「春」「二人」と相まって心の弾みを伝えてきます。(糸川)
「たんたん」というリズミカルな四文字が心地よい。「たたむ」「段ボール」の「た」という音が魅力的に響く。「春」という唐り出しの「A」音が「「ル」の「U」音のやさしさに収斂される。(田山)
二人にとっての新たな道を歩んでいくスタートを切る準備を、うまく表現できている。(吉岡)
勇気出し 机と椅子を 1ミリ寄せる
小出博
学生の淡い恋心を思わせます。どんな人物か。どんな年齢か、といったことを一切述べていなくとも、多くの人が同じ場面を思い描くでしょう。「勇気出し」という決意の歌い出しから大それたことをするのかと思いきや、結果は「1ミリ寄せる」小さなもの。しかし作者にとっては勇気を振り絞ってようやくの大事な1ミリ分の近さなのです。(家藤)
机が並ぶ教室の情景が浮かびます。だいぶ低学年生の教室でしょうか。気になるその子の方へ、机と椅子をこっそりと移動しました。「勇気を出し」と「1ミリ」のギャップが微笑ましく、懐かしさの共感を呼びます。(糸川)
「1ミリ」寄せるのにどれだけの「勇気」をふるったのか。まわりに気づかれたくない、しかし相手に近づきたい。学校生活ならではの緊張感のこもった一句ですね。(田山)
あなたが好きで少しでも近くにいたいと思う気持ち、1ミリだけど勇気を出した甘い恋心をうまく表現できている。(吉岡)
結婚して初めて、水回りの掃除を嫌がらない人だと知った。子どもができて初めて、足拭きマットに正座して子どもを拭いてくれると知った。米粒の洗い残しは許そう。
甘水蛍
現役子育て世代として個人的にも大いなる共感を抱きました。結婚してから初めて知る相手の細かな至らなさにいらいらさせられることもあれば、逆に些細な事柄に感謝と尊敬を覚える場面だってあるでしょう。「結婚して」「子どもができて」と、ライフステージの変化と共に相手を知る作者。不満な点がありつつも、相手の美点を見いだせる作者もまた誇れるべき健全な精神の持ち主であります。(家藤)
「結婚して」共に生活するようになって、ますますその人の良さを発見していったという、時間によって醸成された厚みのある愛です。その人の素晴らしさと、それに対する作者の感謝の気持ちが読者にも伝わってきます。(糸川)
結婚相手のいいところが一緒に生活していくうちに次々と見えてくる。「米粒の洗い残し」御飯の準備も手伝ってくださるのですね。どうぞ末永くお幸せに。(田山)
結婚して気が付くパートナーの新しい一面、すべてが愛おしいく感じて、小さなことも水に流せる一面が感じられる。(吉岡)
豆苗や愛を回復する十日
白沢ポピー
豆苗の収穫時期は4〜5月説、10〜11月説など様々あり、季語として明確な季感があるかは微妙なところ。ですが、季感の有無はこの句の表現した内容にとってさほど問題になりません。喧嘩でもしたのか、お互いの愛が一時的に傷つき減ってしまったのです。しかし三日が経ち、七日が経ち、少しずつ愛は回復していく。十日の頃にはすっかり元通り。二人の関係性を象徴する「豆苗」の艶やかな緑が綺麗です。(家藤)
シャキシャキとした食感を味わった後も、再収穫を楽しめる「豆苗」のイメージが、「愛を回復する」という心理描写に重なっていきます。「十日」という具体的な数字も現実感があって効果的です。(糸川)
豆苗は十日くらいで成長するんでしょう。「愛の回復」が「豆苗」の十日間にたとえられる。切れ字の「や」が効果的です。「十日」という体言止めも。(田山)
豆苗のように幸福感も、再度巡る希望があるから、傷ついても10日で整理をして再スタートする気持ちを表現できている。(吉岡)
言の葉はひらひら降りぬ別べつの文脈に棲む二人のうへに
葦原いちほ
時に、言葉は正確な意味に受け取らないほうが良い場面があります。たとえば「寒いね」と言われた時、それは「寒い」という意味ではなく、「手をつなごう」だとか「カフェに入ろう」だとかの意味なのかもしれない。「別々の文脈に棲む二人」の間にはもどかしく言の葉が降っていきます。核心に触れられず、ひらひらと。「別べつ」「うえに」の表記も創作上の機微として効果的。二人の関係性の複雑さを思わせます。(家藤)
これまでそれぞれに生きてきた「二人」のことを、「別べつの文脈に棲む」ととらえた比喩が、思いを浮き上がらせます。「棲む」という言葉選びにも、これまでの孤独感が込められています。思いを伝え合うのは、困難であっても、やはり言葉に依るしかないということなのでしょうね。(糸川)
「別べつの文脈」に棲む二人の「うへ」に「言の葉」は「ひらひらと」降ってくる。優しい歌ですね。「うへ」の歴史的仮名遣い表記ゆえに「ひらひら」の「ひ」と同じハ行表記で歌の中に不思議な音の響きがうまれました。言葉を愛するお二人に幸多かれと祈ります。(田山)
お互いの言葉にならない気持ちはあるが、言葉にはせず日常を守る家族が浮かぶ。家族を感じる短歌になっていると思う。(吉岡)
この距離が今の立ち位置冬の蝶
岩音寺秋吾
浴衣着の君の手を取り花火舟そっと握るとぎゅっと返され
小田毬藻
退院し 妻の小言の ありがたさ
勝井良共
還暦のチッチとサリー土筆摘む
佐藤ゆま
ショート好き それ聞いてすぐ 髪を切る
花豆子
君がもつハンディーファンから君越しの風が届いて夏がはじまる
吉田里香
あの頃のクセがなかなか抜けなくて朝はしし座の運勢も見る
藤真那智
元彼のアイコン海になり薄暑
愛の花
瀬戸の風 初めて手と手を 握りしめ 赤らむ君は 我が夕陽なり
多田太志
人魚姫いいえ私はカエルです無事を祈って待つ空の下
宮本朝陽香
令和相聞歌の選考委員の先生を紹介させていただきます。(50音順 敬称略)