≪第6回(令和6年度)テーマ≫
恋
≪第6回(令和6年度)テーマ≫
恋
助手席の位置を戻して夏終わる
高須賀眞美子
動作に対する肉体的な共感性の高さとは裏腹に、読みの幅は広い。季語の力も相まって別離を想起させるが、恋の終焉か死による喪失かは各々の解釈に委ねられる。どの読みを取っても眼目になるのは「戻して」だ。まだ作者には捨て去りがたい記憶として、輝かしい夏があるのだ。だが助手席の位置を戻せば、その名残は永遠に喪われてしまうだろう。それを承知で、自らの手で助手席を戻すのだ。スライドが止まった瞬間、その感触が夏の終わりを告げていた。(家藤)
ずっと特別なひとが座っていた「助手席」。季節は「夏」。そこには、生命感に溢れたキラキラとした時間がありました。そして今、「助手席の位置を戻す」という行為によって描かれる、晩夏の、強い断絶感が印象的です。非日常から日常に戻るということかもしれませんが、やはり、そのひととの恋が終わってしまった喪失感が強く伝わってきます。(糸川)
「夏終わる」。下五に込められた万感の思い。「戻して」の「て」に絶妙な効果。最優秀にふさわしい作品。(田山)
異性の友を隣の座席にのせてのドライブの思い出でか、作者の思うその特別な時間が終わりを告げ座席の位置を戻すことでその際の寂しさや雰囲気が彷彿としほろ苦い感情が詠みとれる感性に丈た作品である。(吉岡)
あの人がくれたビスコを持っていて助かるような遭難したい
トミノ
遭難に対する解像度が低すぎる気がしないでもないが、あくまで恋と空想に耽る可愛さと考えればそれも味わいか。今の若い世代には馴染みが薄くなっているであろう「ビスコ」。ひょっとしたら「あの人」とはずっと過去、作者の幼い頃にビスコをくれた憧れの存在なのかもしれない。今でもその記憶は作者の胸を温めているに違いない。(家藤)
「あの人」と強い特別な絆でつながっていたいという想いを描いた一首。
その願いを、「あの人がくれたビスコを持って」いることによって助かる「遭難」という、極限の状況を想定して描き出しています。「ビスコ」という具体的なお菓子も効果的にはたらいて、一首にリアリティを生み出します。(糸川)
「遭難したい」という表現が実にユニーク。「あの人がくれたビスコ」で「助かる」という発想が面白い。空想の世界から妙に現実味が加わる。(田山)
あの人は大切な人だからビスコも当然大切。どんな時ももっていたい。
遭難という大変な時にでもこのビスコを持っているから遭難しても大丈夫という力が見えてくる。(吉岡)
のら猫に出逢うまで帰らない散歩 きっとあれは猫みたいな犬
古宮 汲
俳句や短歌のフィールドには韻律という強力な武器がある。そのシステムを利用せず、発想力と展開の仕方によって独自の世界を見せてくれた作者に敬意を表する。猫は猫なのだ。犬ではない。だがそれでは散歩の時間はすぐに終わってしまう。だから目の前の現実を強引にねじ曲げるのだ。「あれ犬だよね」「犬だね」。それに付き合ってくれる相手が隣にいて、二人の散歩はいつまでも続くのだ。ひょっとしたら永遠にさえも。(家藤)
少しでも長く時間を共有していたいと願う気持ちが伝わってきます。「のら猫」に逢うまでは一緒に歩こうと言って始めた散歩。ならば、猫らしきものを見かけたとしても、それは「猫みたいな犬」だということに自然となるのでしょうね。(糸川)
幻影をみたのかそれともはじめからファンタジックな情景を描いたのか。「猫」と「犬」との対比がいい。「散歩」のあとの半角の行間も効果的。(田山)
散歩好きのその日のテーマのようで面白い。最近はのら猫はあまり見かけることが少ないです。
作者の散歩中にであったのも犬で、思いが深いので猫に見えたのでしょう!(吉岡)
君の背にダビデの裸身夏の暁
山中遊民
旧約聖書に語られる英雄・ダビデ。ゴリアテを倒した逸話が有名だろう。この作品の秀逸なのは助詞「に」によるニュアンスの乗せ方。仮に「背は」だと魅力は半減する。単なる見立てになってしまうからだ。君の背「に」ダビデの裸身の美を見出した、と鑑賞するのが最も魅力的だろう。陶酔の眼差しが読者と共有される。愛する「君」の背の逞しさ、夏の暁の光線に浮かび上がる裸身の男性的なエロチシズム。格調高くも艶な一句だ。(家藤)
ミケランジェロの《ダビデ像》がまず浮かんできますが、「ダビデ」は古代イスラエル王で、ゴリアテとの戦いに臨むその姿は、人間の力強さや美しさの象徴とみなされてきました。夜が明ける前のほの暗さのなか、「君の背」にそれを感じている作者です。「ダビデの裸身」と「夏の暁」が融け合いながら、詩情を広げていく印象的な作品です。(糸川)
読み手に無限の解釈を与えてくれる。夏の暁の「ダビデの裸身」。作者は「君」の背からいかなる印象を受けたのか。情熱的かつ妙に純粋なさわやかな印象が残る。(田山)
貴方の裸の背中を見てるいるとミケランジェロのダビデの裸身と重なる。それほどに素晴らしい君の背。作者の思いが素直なまでに表現されて夏の暁がうまく効を奏している。(吉岡)
この気持蝶々結びで届けます
桐山榮壽
恋をテーマにした性質上、令和相聞歌には過去多くの「この気持ちを届ける」作品が寄せられてきた。「蝶々結び」がどれだけ揺るぎない措辞となれるかが評価の分かれ目になるだろう。(家藤)
可愛らしくもあり、すっきりと整ったイメージを醸し出す「蝶々結び」。「蝶結び」は、改まった慶び事の雰囲気も作り出すものです。「蝶々結びで届けます」という表現によって、その人を想う自分の気持ちを伝えている作品です。(糸川)
「蝶々結び」にこめられる作者の丁寧さ。受け取る側もうれしさを感じると共に緊張するだろう。「届けます」という敬体で結んだ下五もいい。(田山)
「蝶々結び」は花結びともいいます。紐の端と端をつなげる結びで風呂敷やリボン結びに使います。
貴方への愛の気持ちを絹の布に包んで丁寧に蝶々結びをして届ける。日本の伝統文化の一つ、現代も大切な物など包みます。品物でなくその愛の気持ちを包み届ける。法の社会でも風呂敷は必需品です。(吉岡)
真二つにあなたが割った焼き芋はカナリア色で羽も付いてる
長谷川水素
焼き芋をはじめ、食べ物を分け合う発想に類想感はある。が、描写への細かな心配りに努力が見える。過不足ない「真二つ」、幸福そうな「カナリア色」、鳥のイメージを引き継ぎつつ映像の焦点を絞る「羽も付いてる」。割った面からは美味そうな湯気もでているんだろうなあ。(家藤)
「あなた」と分け合う「焼き芋」を「カナリア色」ととらえ、繋がりで「羽」を見出したところに詩情がうまれます。「真二つに」というきっぱりとした表現も、共にいく二人の未来を想像させるようで効果的です。(糸川)
「焼き芋」から見事に発想を広げた。割った芋の色が「恋」を歌うカナリア。芋の皮が「羽」。「真二つ」に割る「あなた」の技も見事。(田山)
貴方が割った焼き芋がカナリア色に素晴らしい感性です。しかも羽もツイてるように。
二人の優しい愛の未来を焼き芋がささやいているように若い二人の未来までもみえてくる。(吉岡)
間取り図をきみと広げる十三夜
村瀬ふみや
十三夜は後の月とも呼ばれる、名月から一ヶ月後の月のこと。時間情報や月の存在だけでなく、落ち着きと時間の奥行きも感じさせる取り合わせだ。間取り図を見るのではなく「広げる」のがポイント。昨今、物件探しだけならネットで事足りるが物理的に間取り図を広げるとくれば、作者は施主か。二人で暮らす家の未来を想う、しっとりとした時間の手触りがある。(家藤)
「十三夜」は風も肌寒く感じられる頃で、その時節に、「間取り図」を広げる二人の姿からは、落ちついたたたずまいの風情が伝わってきます。「間取り図」は家の設計図のようなものでしょうか。いずれにしても、二人の将来を象徴するものとして働いています。情景と季語が融けあって印象的な作品です。(糸川)
最も美しい月とされる「十三夜」。間取り図に二人のどんな夢を託すのだろうか。「君」という二人称にこめられた作者の愛を感じる。(田山)
十三夜は旧暦の9月13日のお月見の事。十五夜から約1か月に巡ってくる十三夜は十五夜についで美しいです。文芸の中ではよく題材に取り上げられます。これからの二人の未来図、君と広げるでこれからの二人の将来の会話に月の光が一層輝いたのでしょう。(吉岡)
彗星の周期に君といる寒露
横山雑煮
彗星の多くは楕円形の軌道を持ち、その周期は200年以上になるものも少なくない。一緒に彗星を観られるのは、数百年単位での貴重なタイミングを「君」と共有していることなのだ。時期は寒露、夜には露が凝るほどに冷える晩秋の頃だ。季語の選定がしみじみと二人の関係性や年齢への想像を広げてくれる。(家藤)
掛け替えのない大切な人を感じるとき、人間は、自分自身が今、ここに在ることを意識するようになるのでしょうね。時節はちょうど「寒露」の侯、澄んだ夜空に月や星が輝いています。時空の大きな広がりのなかに、二人の姿描き出されています。(糸川)
「甘露」は秋の季語。令和六年秋に紫金山アトラス彗星地球接近。数万年の周期という。彗星の出現に「君」といることのできた幸福感を感じる。(田山)
彗星は夜空に長い尾を引いてほうき星で太陽の周りをまわる太陽系の天体、あなたと一緒に長くいる表現、美しく夜空が見える寒霜の季語で状況がよく見えてくる。(吉岡)
初恋は後から気づく柘榴の実
すずき 弥薫
初恋とは得てしてそういうものであるが、季語の力によって作品として成立している。柘榴の実の裂け目から覗く無数のルビーのような種。その一粒一粒が感情の機微の象徴のようでもあり。(家藤)
「柘榴の実」が印象的です。とおい昔の初恋を花に託して詠む作品は多いのですが、ここでは「実」。「柘榴の実」は古代から神話にも描かれた果実で、「受難」や「罪」もイメージさせます。年齢を重ねた人の、重たくも深い感慨が伝わってくるようです。(糸川)
「初恋」を「柘榴の美」にたとえるユニークさと斬新さ。「柘榴の味」も林檎と同じく(いやそれ以上の)甘酸っぱさがある。「後から気づく」という時間の経過の表現もいい。(田山)
初恋はレモンの味がありますが、おそらく思い出の中から変化したでしょうか、初恋と柘榴の実の取り合わせが後から気づくで言い得てる、実感彷彿の一句となっている。(吉岡)
言葉にも のりしろがある 組み立てて やっとかたちに なった「すきです」
しろくま
自分のなかにある感情の正体を探るには時間がかかる。言葉に表そうとするとなおさらだ。告白をモチーフにした作品は永遠の定番だが、言葉と心に対して「のりしろ」「組み立て」の概念で把握しようとするアプローチは初々しく、内容にも似合っている。(家藤)
そのひとへの想いを、こころのなかで確かめ幾度も温め、やっと告げることができた「すきです」という言葉。それを、「のりしろ」を丁寧に貼り合わせながら立体を作っていく紙工作のイメージで描いています。「言葉にものりしろがある」という発見の認識が詩情を生み出していく印象的な一首です。(糸川)
読み手の発見は「言葉」にもあるという「のりしろ」。「のりしろ」があってはじめて「好きです」という言葉が組み立てられる。作者の視点と発想に深い敬意。(田山)
作者は言葉にものりしろがある と。自部の思いをどれだけうまく言葉にできるか考えてた末の。
「やっとかたちに」で気持ちが十分読み取れる。やっとかたちに、で満足感ありの言葉ですね!(吉岡)
この先もあなたは知らないままでいい拍手で恋を鳴らし続ける
河岸景都
時代とともに恋の概念だって移り変わっていく。「あなた」からは認知されず、拍手だけを送り続ける、そんな形の恋だってあるだろう。個人的にはいわゆる推し活を想像した。作者の慕わしい眼差しと鳴らし続ける掌の幸福な痛みとが伝わってくる。「知らないままでいい」は悲観でもなんでもなく、推し活におけるリアルなのだ。(家藤)
遂げられぬ恋が詠まれた一首。わたしの想いには気づかぬまま、祝福と称賛の場にいる「あなた」に、わたしは懸命に拍手を送っています。もしかするとこれは、「あなた」と誰かとの結婚式の場かもしれません。下句から伝わってくる、切なさと「あなた」への強い想いが印象的です。(糸川)
「せつなさ」が歌全体にただよいます。作者の「拍手」を「知らないままでいい」という表現がいい。しかも「恋を鳴らし続ける」。(田山)
好きであることは知ってほしいが、余計な心配事などはしらないままでいい!と優しい言葉。
この先もの表現が新鮮、相手へのラブコールはほかの人にはわからないように拍手が聞こえる。(吉岡)
ブラウスは白、会いたさの帆を張って
くらたか湖春
読点を挟みつつ七五五の韻律を持つ。俳句には白シャツという夏の季語があるが、この作品にも溌剌とした夏の季感を感じる。「会いたさの帆」が詩の言葉として秀逸だ。パリッと清潔な生地の張りを映像化しつつ、その奥に漲る心理の質量も充分に確保して魅力的。(家藤)
先ず、「ブラウスは白」と言い切った導入の表現にインパクトがあり、その人への想いの強さと、一歩踏み出そうとする決意が伝わってきます。「ブラウスの白」を、水面をすすむ船のイメージに繋いで、「会いたさの帆」と展開させたところが巧みです。(糸川)
「ブラウス」だから女性の作と解釈。「帆」の一字がいい。「白」という字との素晴らしいペア。「張って」に緊張感とみずみずしさ。(田山)
好きな人に会いに行くときの服選び、いろいろ考えてた末に白にきめた!白にはこれからいろいろな色に染まるという意味もあり、帆を張ってがうまく自分の気持ちを表し相聞歌になっている。(吉岡)
春風が哲学者の肺を満たした日に、はじめて人間の婚姻というものが生まれたらしい。君は私の出まかせを聞きつつ、コーヒーを一口すすった。「次は、幸福の起源を教えて」
高遠みかみ
嘘か誠か、哲学問答。わざわざ作中で「私の出まかせ」とまで言うなら事実ではないのだろうが、この人物が哲学者の心を持っているのは間違いない。迂遠な結婚の申し込みのようにも聞こえる問答と、コーヒーをすする一拍の間。続けられた相手の言葉は神の裁定のように、続きを述べる権利を与えてくれる。君の言葉こそが幸福の起源だ。(家藤)
まるでドラマをみているように、作品のなかを二人の人物がいきいきと動いています。「婚姻」や「幸福の起源」という言葉からは、二人の気持ちが向かう方向も暗示されてくるようです。(糸川)
素晴らしい詩の情景だ。前半の句、私が「出まかせ」という「プロポーズの言葉」に君は「幸福の起源を教えて」と答えた。なんと素晴らしい愛の誕生の一瞬だろう。(田山)
人間の婚姻について彼女に喋ったのでしょう、彼女はそれよりもとは言わずにコーヒーを一口すすって幸福の起源を教えて‼この会話から二人の状況が連想でき口語を生かした作品となっている。(吉岡)
五度寝まで耐えて布団の君を蹴る
ツナ好
退廃的というか、モラトリアムというか……作者自身の経験に裏付けされたであろう妙なリアリティがある。二度や三度ではない「五度寝」ともなれば蹴るのもやむなし。乱暴に見えるが、これはこれで愛なのだ。冬用の厚めな布団ならある程度蹴りの威力も吸収してくれるだろうよ。(家藤)
当事者にとっては、「耐え」た極限の「蹴」りなのですが、その、「耐えて」から「蹴る」への感情の動きが、情景とともに伝わってきて、読み手の共感を誘う作品です。日々の暮らしの一コマを描きながら、かけがえのない「君」との生活の温もりや手応えが広がってきます。(糸川)
仲のいいお二人なんですね。「蹴る」という動詞にかえって愛おしさを感じます。どうぞ末永くお幸せに。(田山)
布団を蹴るでなく君を優しく蹴ったのでしょうか?5度まで我慢できる関係いいですね!(吉岡)
金婚に妻恋う歌を二つ三つ詠んでみようか笑いあうため
あき・おうぎ
しろくまは透明なんだと言う君の講義みたいなデートが好きで
にゃんじ
サプライズと手の中にある部屋の鍵
天山郷
今もまだ 君の名前が パスワード
アジフライ
AIも 書けぬ「愛」ある 相聞歌
減点パパ
春の靴三回替えて初デート
ハル
本屋、雨、コーヒー、メール、笑顔、言葉、服、色、空、海、川沿いの2階の部屋、手紙、テーマパーク、空気、匂い全部覚えてる。 私の中にそんな幸せがあって良かった。
おきく
嗚呼会いたい 一緒にいたい 海に行きたい 映画も観たい 想いが募る 私の恋のあ・い・う・え・お
中年やまめ
本当の恋と知ったら思い切りラーメンすするあなたの前で
桜木小夜
キリンなら見えるだろうか君の見る海の向こうの君だけの未来
海の猫
令和相聞歌の選考委員の先生を紹介させていただきます。(50音順 敬称略)